辨 |
ヨシ属 Phragmites(蘆葦 lúwěi 屬)には、世界に3-4種がある。
ヨシ P. australis(P.communis;蘆葦)『中国雑草原色図鑑』318
セイタカヨシ(セイコノヨシ) P. karka (卡開蘆,カカイロ,kăkāilú・大蘆・水竹・水蘆荻)
北海道・本州・四国・九州・琉球・朝鮮・臺灣・福建・兩廣・雲南・
・東南アジア・インド・太平洋諸島・オーストラリアに分布。
和名のセイコは、中国の西湖。karka・卡開は未詳。
ツルヨシ(ジシバリ) P. japonicus(日本蘆)
|
イネ科 Poaceae(Gramineae;禾本 héběn 科)については、イネ科を見よ。 |
訓 |
和名は古名はアシ。「悪し」に通ずるとして忌み、「善し」と縁起を担いで、平安時代末ころからヨシという。
|
『本草和名』蘆根に、「和名阿之乃祢」と。
『倭名類聚抄』蘆葦に、「和名阿之」と。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』に、「蘆 ヒムログサ タマエグサ ナニハグサ サゞレグサ ハマヲギ以上古歌名 アシ和名鈔 ヨシ」と。 |
いくつもある漢名の本来の区別は、葭(カ,jiā)は芽生えを、蘆(ロ,lú)は花の開く前を、葦(イ,wěi)は穂の出た後を言う。 |
芦字は、本来は芦(コ,hù)と読み、芐(コ,hù)と同字、ジオウの意であったが、俗に芦(ロ,lú)と読んで蘆(ロ,lú)の略字として用いた。
現代中国においても、芦は 蘆の簡体字。 |
ヨシ(アシ)とオギは、形体も生態もよく似ているので、歴史的漢名では厳密に区別していない(乃至できていない)ため、通称乃至混称である場合がある。 |
説 |
北海道・本州・四国・九州・朝鮮・漢土全域から、広く世界の暖帯乃至亜寒帯に分布。 |
「イネ科の抽水植物はいずれも生活型は似ているが、水に対する生態的特性が少しずつずれており、それが水辺の群落の成帯となって現れる。一般に水の浸るところにはヒメガマ、それに連なってマコモが群落をつくる。これらにおおわれない水面には、サンカクイやフトイが生育する。水ぎわから上はヨシ群落となる。河川の縁にあって、出水時に水に浸るような低地を河川敷(高水敷)というが、ヨシの生育範囲の多くはこのような場所である。やや高いところにはオギが現れる。
オギとヨシの移行帯では、地下部の広がりがオギは浅くヨシが深い。地上部は混生していても、地下部のすみ分けが成立している。」(沼田真・岩瀬徹『図説 日本の植生』1975) |
誌 |
中国では、茎を用いてよしずを作り、すだれ(葭帘,カレン,jiālián)を作り、むしろ(葦蓆, イセキ, wĕixí)を作る。また茎葉を屋根・壁を作るのに用い、城壁や堤防を作るのに鋤きこむ。
嫩葉は蘆筍(ロジュン,lúsŭn)と呼んで食用とし、新葉は粽を巻く材にする。根茎は蘆根(ロコン, lúgēn)と呼び、薬用に供する。『中薬志Ⅰ』pp.299-301 『全國中草藥匯編 上』pp.446 『(修訂)中葯志 』I/434-436 |
『礼記』「月令」六月に、「澤人に命じて材葦(各種の工芸の材料とするアシ)を納れしむ」と。
『大戴礼』「夏小正」七月に「秀づる(穂が出た)雚葦(くわんゐ。オギとアシ)あり。〔未だ秀でざれば則ち雚葦を為さず。秀でて然る後に雚葦を為す。故に先づ秀づるを言ふ。〕」と、また「灌(あつ)める荼(と)あり。〔灌は聚なり。荼は雚葦の秀づるなり。蒋(むしろ)たれば之を褚(たくは)ふなり。雚といふ、未だ秀でざるを菼(たん)と為し、葦の未だ秀でざるを蘆と為す。〕」と。
『詩経』国風・豳風「七月」に、「八月は葦を萑(か)る」と。 |
日本では、きわめて古くから親しまれてきた植物。ただし、葦・芦(蘆)などの字は、歴史的には全て「あし」と読むべきもの。 |
『古事記』冒頭の国造り伝説の一節に、「次に国稚く浮きし脂の如くして、くらげなすただよへる時、葦牙(あしかび)の如く萌え騰(あが)る物に因りて成れる神の名は・・・」とある。葦の牙とは、葦の芽。
『日本書紀』冒頭の本文にも、「開闢(あめつちひら)くる初(はじめ)に、洲壌(くにつち)の浮れ漂へること、譬へば游魚(あそぶいを)の水上(みづのうへ)に浮けるが猶(ごと)し。時に、天地(あめつち)の中に一物(ひとつのもの)生(な)れり。状(かたち)葦牙の如し。便ち神と化為(な)る」と。
これより、「葦原の中国(なかつくに)」は 大和を指す。例えば、『古事記』天の石屋戸・葦原中国の平定、また『日本書紀』巻2・第9段を見よ。
|
『万葉集』に詠われた歌は、文藝譜に写してあるので、全貌はそちらを参照。
一部を引けば、まず「葦原の瑞穂の国」とは、大和の国。
葦原の みづほの国を あまくだり しらしめしける すめろぎの 神のみことの
御代かさね 天の日嗣と しきませる 四方の国には ・・・
(18/4094,大伴家持。ほか多数)
身近な植物であったので、『万葉集』には葦は様々に詠われている。
まず、雁・鴨・鶴など水鳥との取り合わせが多い。
葦辺なる 荻の葉さやぎ 秋風の 吹き来るなへに 雁鳴き渡る (10/2134,読人知らず)
あしの 葉にゆふぎり(夕霧)た(立)ちて かも(鴨)が鳴(ね)の
さむ(寒)きゆふべ(夕)し な(汝)をはしの(偲)はむ (14/3570,防人の歌)
若浦に 塩満ち来れば かた(潟)を無み
葦辺を指して たづ(鶴)鳴き渡る (6/919,山部赤人)
湯の原に 鳴く蘆たづは 吾が如く 妹に恋ふれや 時わかず鳴く (6/961,大伴旅人)
刈入など、生活に密着した歌もある。
湊入の 葦別小舟 障(さはり)多み 今来む吾を よどむと念ふな (11/2998,読人知らず)
・・・ あし(葦)か(刈)ると あま(海人)のをぶね(小舟)は ・・・ (17/4006,大伴家持)
大船に 葦荷苅り積み しみみにも 妹は情(こころ)に 乗りにけるかも
(11/2748,読人知らず)
みなと(水門)の あし(葦)がなか(中)なる たま(玉)こすげ(小菅)
か(刈)りこ(来)わ(吾)がせこ(背子) とこ(床)のへだし(隔)に (14/3445,読人知らず)
刈った葦は、火にくべ、また垣根に用いた。
難波人 葦火燎(た)く屋の すして有れど 己が妻こそ 常めづらしき
(11/2651,読人知らず)
いは(家)ろには あしふ(葦火)た(焚)けども す(住)みよ(好)けを
つくし(筑紫)にいた(到)りて こ(恋)ふしけもはも (20/4419,物部真根)
花細(ぐは)し 葦垣越しに 直(ただ)一目 相視し児故 千遍(ちたび)嘆きつ
(11/2565,読人知らず)
蘆垣の 中のにこ草 にこよかに 我と笑まして 人に知らゆな (11/2762,読人知らず)
あしかき(葦垣)の くまと(隈処)にた(立)ちて わぎもこ(吾妹児)が
そて(袖)もしほほに な(泣)きしそも(思)はゆ (20/4367,刑部直千国)
わがせこ(背子)に こ(恋)ひすべ(術)なかり あしかき(葦垣)の
ほか(外)になげ(歎)かふ あれ(吾)しかな(悲)しも
あしかきの ほかにもきみが よ(寄)りた(立)たし
こ(恋)ひけれこそば いめ(夢)にみ(見)えけれ
(17/3975;3977,大伴池主と大伴旅人の贈答歌)
|
『八代集』に、
人しれぬ おもひやなぞと あしがきの まぢかけれども あふよしのなき
(よみ人しらず、『古今集』)
なにはがた かりつむあしの あしづゝ(葦筒)の ひとへも君を 我やへだつる
(藤原兼輔「をのれを思へたへてたる心ありといへる女の 返事(かへりごと)につかはしける」、
『後撰集』。葦筒は、ヨシの茎の中にある、薄い紙のようなもの)
深くのみ 思ふ心は あしのねの わけても人に あはんとぞ思
(敦慶親王、『後撰集』)
たづのすむ さわべのあしの したね(下根)とけ
みぎは(汀)もえいづる 春はきにけり (大中臣能宣(921-991)、『後拾遺集』)
みしまえに つのぐみわたる あしのねの ひとよのほどに はるめきにけり
(曽祢好忠(10c.後半)、『後拾遺集』)
はなゝらで を(折)らまほしきは なにはえの あしのわかばに ふれるしらゆき
(藤原範永(11c.後半)、『後拾遺集』)
難波江の あしのかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき
(皇嘉門院別当、『千載集』『百人一首』)
なにはがた 短きあしの ふしのまも あはでこのよを すぐしてよとや
(伊勢(ca.877-ca.938)、『新古今集』『百人一首』)
つのくにの なにはのあしの めもはるに しげき我恋 人しるなゆめ (紀貫之)
|
西行(1118-1190)『山家集』に、
つゆのちる あしのわかばに 月さえて
あき(秋)をあらそふ なにはえ(難波江)のうら(浦)
なにはえの みぎは(汀)のあしに しも(霜)さえて
うら(浦)風さむき あさぼらけ哉
しもにあひて いろあらたむる あしのほの さびしく見ゆる なにはえのうら
こほり(氷)しく ぬまのあしはら 風さえて 月もひかりぞ さびしかりける
つ(津)のくに(国)の あしのまろや(丸屋)の さびしさは
冬こそわけて と(訪)ふべかりけれ
|
粽(ちまき)解て蘆吹く風の音聞(きか)ん (蕪村,1716-1783)
|
わがゆくかたは、末枯(うらがれ)の葦の葉ごしに、
爛眼(ただらめ)の入日の日ざしひたひたと、
水錆(みざび)の面(おも)にまたたくに見ぞ醉(ゑ)いしれて、
姥鷺(うばさぎ)はさしぐむ水沼(みぬま)、・・・
薄田泣菫「わがゆく海」(『白羊宮』)より
春は早うから川辺の葦に、
蟹が店出し、床屋でござる。
チョッキン、チョッキン、チョッキンナ。・・・
(北原白秋「あわて床屋」1919)
春いまだ深(ふ)けて行かざることわりに水より出でし青葦みじかし
(1938,齋藤茂吉『寒雲』)
|
西洋の いわゆるリード楽器(reed pipe,葦笛)のリード reed とは、蘆の仲間の通称だが、西アジア・ヨーロッパでは古くからアシ・ダンチクの茎を用いた。 |